「道重信教」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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みちしげしんきょう/道重信教
安政三年(一八五六)三月四日—昭和九年(一九三四)一月二九日。浄蓮社澄誉普済道人。増上寺七九世。山口県宇部市松月院二一世。長門国厚狭郡宇部村に道重十次郎の五男として生まれる。明治元年(一八六八)に得度、同五年に浄土宗山口講習所に入り、山下現有らに学ぶ。後、京都の浄土宗大学校に入学、泉涌寺など他宗の師について俱舎や唯識などを修学した。同二〇年山口支校、同二四年鎮西支校教授、同二六年浄土宗学本校教授などを歴任し、大正一二年(一九二三)増上寺法主となる。仏教の民衆化に尽瘁し、日本初のラジオ法話放送を行ったり、関東大震災の遭難横死者のため当時危険視されていた飛行機に搭乗、大空より読経念仏散華回向を敢行するなどした。その捨身の行は世道人心に多大な感銘を与えた。
【参考】末次信明『今一休・普済道人 道重上人小伝』(浄土宗松月院、一九七八)、大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:末次信明】