「堀井慶雅」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ほりいけいが/堀井慶雅
明治一八年(一八八五)三月二日—昭和二〇年(一九四五)七月二四日。明浄心院真蓮社称誉貞阿法観。富山県射水郡安吉村(現・射水市安吉)の大井清左ヱ門・いとの三男として生まれた。九歳の頃に東京教区城西組深広寺に入り、明治四二年(一九〇九)一一月一〇日に深広寺堀井貞雅の養子となる。同四四年五月七日に貞雅が遷化し、同月二三日に深広寺住職となる。大正一三年(一九二四)、浄土宗法式会は、堀井が編纂の専任となり『礼讃声明音譜』(東儀俊竜校閲、千葉満定・堀井慶雅・津田徳成共編)を発行し、礼讃・声明・引声などを五線譜化した。昭和一三年(一九三八)九月に『法式教案』を刊行し、法式協会で協定した威儀犍稚などを基にして、自身の教案として事例根拠などを集述。また、浄土宗法式協会の主査として、『法要集』(昭和一四年版)の刊行に尽力をした。同一六年一〇月に『声明並特殊法要集』(増上寺遠忌局)を刊行し、増上寺法式威儀師としてすべての声明譜に五音・ユリなどの博士を明記した。これまでの天台声明譜から縁山声明譜とし、現行の声明譜はこれに依っている。同一七年二月に堀井を中心とした東京法式会有志は、縁山流声明などの録音を行い、『浄土宗声明音譜』を発行した。「縁山声明の中興の祖」である千葉満定を継承し、「縁山声明の父」とも称せられた。弟子には津田徳翁等がいる。同二〇年に深広寺は戦災で焼失。千葉浦安大蓮寺にて遷化した。
【録音資料】『浄土宗声明音譜』(レコード、NBS八~一〇)
【執筆者:西城宗隆】