「東本願寺」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:31時点における最新版
ひがしほんがんじ/東本願寺
京都市下京区烏丸七条上ル。真宗大谷派の本山。正式には真宗本廟という。洛中において西側に所在する西本願寺に対して東本願寺と通称する。石山合戦を経て示寂した本願寺一一世顕如の跡を継ぎ長男の教如が引き継ぐも豊臣秀吉の処断により地位を追われ、本願寺の住持は弟の准如によって引き継がれることとなる。それに対し、教如は慶長七年(一六〇二)に徳川家康より寺地を与えられ、改めて本願寺を別に建立した。付き従う末寺・門徒は半数に及んだという。その後、三代将軍家光から寺地を寄進され、渉成園(枳殻邸)などが造営された。また寛文五年(一六六五)には学寮が設置され、後に高倉学寮として多くの学僧を輩出することになった。初代講師は恵空。その系譜は近代には真宗大学、そして大谷大学と変遷を遂げる。なお、寺宝として親鸞真筆『顕浄土真実教行証文類』(坂東本教行信証、国宝)、安城御影(国重要文化財)などがある。
【参考】大谷大学編『真宗年表』(法蔵館、一九七三)、真宗教学研究所編『近代大谷派年表』(真宗大谷派宗務所、一九七七)
【執筆者:能島覚】