「豊岡博道」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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とよおかはくどう/豊岡博道
明治八年(一八七五)一〇月四日—昭和一〇年(一九三五)五月一〇日。愛蓮社仁誉信阿。字は芳翠。三重県阿山郡伊賀上野町(現・伊賀市)念仏寺住職豊岡察道の長男として出生。愛知支校を経て浄土宗専門学院に学び、卒業後浄土宗内地留学生となり、宗乗の研究に努める傍ら『浄土教報』を主筆。宗教大学講授、浄土宗布教部長、宗会議員、総本山知恩院執事、同顧問、同執事長等宗門の要職を歴任。また愛知県御津大恩寺、東京牛込専念寺、三重県上野念仏寺を歴住した。近代浄土宗の代表的な布教師・文筆家として活躍。編著書に芳翠山人名義の『応用自在利益の源泉』(魁進堂、一九一一)、『進歩的成功法』(同)、『米穀株式相場の研究』(同)、『自分で出来る美人の心得』(魁進堂、一九一二)、『解頤集』(一心窟、一九一二)等がある。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:曽田俊弘】