「知恩院浄土宗学研究所」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:29時点における最新版
ちおんいんじょうどしゅうがくけんきゅうじょ/知恩院浄土宗学研究所
浄土宗学の研究を目的とした総本山知恩院設立の研究機関。知恩院山内にある。設立までの経緯は以下の通り。望月信亨の金戒光明寺法主晋山に伴い、関西における教学興隆を意図して、昭和一七年(一九四二)三月に望月仏教文化研究所(金戒光明寺山内清心院)を創設する。同二〇年、望月の知恩院門主晋山に伴い同研究所は活動を休止。しかし望月の遺志を継承した、後継の知恩院門主岸信宏により同二六年、知恩院新門横(元華頂看護婦養成所)に仏教文化研究所と改称し再出発を期す。この時代には塚本善隆を学頭に、牧田諦亮、香月乗光、藤堂恭俊、藤吉慈海が主任を務めた。活動としては学術雑誌『仏教文化研究』発刊、知恩院雪香殿における「浄土教学大会」開催(浄土宗教学院との共催)等が知られる。その後、法然上人七五〇年遠忌を記念して「知恩院宗学研究所」が設立される(同三六年九月一日)。両研究所の所員兼職の事情により、結果的には望月以来の伝統が継承されたともいえる。ただし同三九年に行われた仏教文化研究所の「浄土宗教学院研究所」(京都市東山区林下町浄土宗宗務庁内)への発展的解消(『仏教文化研究』一二「彙報」)まで、仏教文化研究所は存続する。同四一年七月一日執事長鵜飼隆玄主導により、知恩院宗学研究所は知恩院浄土宗学研究所と改称され、宗義に関する社会的課題、その現代的理解への対応等が求められた。近年の傾向としては研究領域に広がりを見せ、文献学・歴史学を基礎とした実証的研究も重視されている。初代主任は香月乗光(知恩院宗学研究所)、以下(改称後)藤吉慈海、藤堂恭俊、髙橋弘次、福𠩤隆善と続く。
【執筆者:中御門敬教】