法然が感西に譲渡するとした土地。『没後遺誡文』によれば、法然は常随給仕の弟子である感西に吉水の中房と高畠の地を付属したという。この地が京都のどのあたりに存在したかは、詳らかではないが、現在の京都市東山区の高畑たかばたけ町とも考えられる。
【参照項目】➡感西、高畠の少将
【執筆者:石田一裕】