「尊統法親王」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:28時点における最新版
そんとうほっしんのう/尊統法親王
元禄九年(一六九六)九月九日—正徳元年(一七一一)五月一八日。寿経光院宮源蓮社高誉等阿愍生。幼名は淳宮、岡宮。有栖川宮幸仁親王の皇子。母は家女房。養父霊元天皇、准母新大納言局。知恩院門跡三世。元禄一一年(一六九八)三歳で知恩院宮を相続し、宝永三年(一七〇六)徳川綱吉の猶子となる。同四年親王宣下され、良邦の名を賜った。同年知恩院四三世応誉円理のもとで入室得度、同六年二品に叙せられ、同七年九月に関東下向、増上寺で修学。同年一〇月、増上寺で徳川家宣の父清揚院殿の三三回忌法要の導師を勤めた。同年一二月に帰洛。同八年一月に法然五〇〇回遠忌勅会の導師を勤めた。その後まもなく病によって一六歳で示寂。京都一心院に葬られた。文化八年(一八一一)の一〇〇回忌に一品が贈られている。
【参考】『華頂誌要』(浄全一九)、『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:笠島崇信】