「尊超法親王」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:28時点における最新版
そんちょうほっしんのう/尊超法親王
享和二年(一八〇二)七月一〇日—嘉永五年(一八五二)七月七日。大光明院宮照蓮社耀誉真阿芬陀梨。幼名は種宮。有栖川宮織仁親王の第八皇子。母は藤原福子。知恩院門跡六世。文化二年(一八〇五)知恩院宮を相続する。同五年光格天皇の養子に、同六年徳川家斉の猶子となる。同七年親王号が宣下され、福道と賜る。同年に知恩院六四世泰誉在心のもとで剃髪得度。同八年法然六〇〇回忌勅会導師を勤める。文政八年(一八二五)には五重、同一〇年には円頓戒、天保六年(一八三五)には璽書を受けた。同四年と同一三年の二度関東に修学している。詩・書・彫刻などに優れ、たびたび宮中で講義し、仁孝天皇、孝明天皇に十善戒を授け、江戸城においては徳川家慶に御加持、円頓戒を授けるなどしている。示寂後は京都東山一心院に葬られた。
【参考】『華頂誌要』(浄全一九)、『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:笠島崇信】