「摂取光益」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:27時点における最新版
せっしゅこうやく/摂取光益
阿弥陀仏の光明による利益の意。『観経』第九真身観「一一の光明、徧く十方世界を照らして、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」(聖典一・三〇〇/浄全一・四四)について、源信『往生要集』大門第五正修念仏門は「我亦た彼の摂取の中に在りて、煩悩に眼を障られて見ること能わざると雖も、大悲倦むこと無く我身を常照す」(浄全一五・八五上)という。法然は『観経釈』において第九観の文を「光明の利益」と名づけ、摂取の光明による利益を念仏に限る理由を、平等の義、本願の義、三縁の義の三義をもって解釈する(昭法全一二〇)。良忠は『往生要集義記』で「摂取の光益は只だ称名に在り」(浄全一五・二七四下)という。
【参考】阿川貫達『浄土宗義概説』(浄土宗、一九五七)
【執筆者:南宏信】