「稲垣真我」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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いながきしんが/稲垣真我
明治二〇年(一八八七)—昭和六三年(一九八八)五月八日。識蓮社実誉願阿。不虚通、我孫子と字した。宗門功労者。愛知県中島郡(現・稲沢市)に、稲垣善七、れいの子として生まれ、幼名孫十郎。明治二七年(一八九四)に真言宗で得度するが、浄土宗に転じ、同三五年京都招善寺、秦隆典について改めて得度、真我と改名。同四五年宗教大学研究科を卒業。北海道布教師として函館称名寺に駐在、朝鮮開教使として従事。大正九年(一九二〇)、オックスフォード大学に留学、宗教学、社会事業を研究して同一二年に帰国。翌年、佛教専門学校教授。昭和一六年(一九四一)、東海中学校校長就任。東海学園中学校、高等学校校長を歴任し、同二四年佛教大学教授に復帰。同三一年、佛教大学第三代学長に就任、同三六年までその職にあった。同三八年には浄土宗ハワイ開教区、開教総監に就任。同四一年、宗門功労者表彰、勲三等瑞宝章受章。著書論文多数。
【参考】稲垣真我先生遺文・追悼文集編集委員会編『稲垣真我先生遺文・追悼文集』(佛教大学稲垣真我先生遺文・追悼文集刊行会、一九九〇)
【執筆者:伊藤真宏】