東京都台東区寿。珠島山是応院。俗称鯉寺。東京教区№二七一。開山の是応は、天正一八年(一五九〇)徳川家康の入府に同行、八重洲河岸に庵を設ける。慶長一六年(一六一一)現在地へ移転。開基の檀主は酒井河内守重忠。是応は後に京都知恩寺三六世に、一八世窪川旭丈は鎌倉光明寺一〇四世に就任。嘉永六年(一八五三)に大洪水で死んだ大鯉を葬った「鯉塚」を建立したことから「鯉寺」の名があり、再々建の「鯉塚」が現存する。
【資料】『蓮門精舎旧詞』二〇(続浄一八)
【執筆者:窪川和順】