離三業念仏
提供: 新纂浄土宗大辞典
りさんごうねんぶつ/離三業念仏
証空が説く念仏で、衆生の三業を離れた阿弥陀仏の他力の念仏を表す。まず、口称念仏は三業のなか口業において実現しているところから、自力・他力が問われるが、証空は衆生が自力で称する念仏でなく、本願他力の口称念仏を説く。証空は『述誠』一八に、「阿弥陀仏何事をか五劫思惟したまふや」(『西山鈔物集』九九)と設問し、それにつぎのように自答している。阿弥陀仏は二百一十億の諸仏の浄土を知見している。諸仏の慈悲に二種ある。一は随自意の慈悲であり、これは自力である。二は随他意の慈悲であり、これは他力である。このなか他力の慈悲を集めて阿弥陀仏は本願とし、この本願を五劫思惟して仏体即行(阿弥陀仏が衆生往生の行体であること)を思惟している。これが衆生の三業を離れた(離三業の)行願である。離三業を修するというのは、衆生の往生行は仏体において成就されていることを聞信し領解する即便往生を目指すものである。
【執筆者:中西随功】