通報化義
提供: 新纂浄土宗大辞典
つうほうけぎ/通報化義
浄土には法身浄土、報身浄土、化身浄土の三土があるが、阿弥陀仏の極楽浄土はそのすべてに通じて具足するという説。文字上は報土と化土の二土であるが、実際は法身浄土も加わる。迦才は『浄土論』上において「問うて曰く、土にすでに三あり。未だ知らず、西方はこれ何の土なりや。答えて曰く、また三種を具す。…故に諸経論の中に或いは判じて報とし、あるいは判じて化とす。みな旨を失せざるなり」(浄全六・六三〇上)と述べ、極楽浄土は三土すべてを具足しており、衆生の機根の相違にしたがって、感見できる浄土の相違が生じるとしている。龍樹のような高位の菩薩は三土すべてを見ることができるが、凡夫は化土しか見ること、往生することができないとする。これは諸経論間における、極楽の判定の相違を統一しようとしたものであり、極楽が報土であることを認めているようであるが、善導の是報非化説とは全く相違する理解である。
【参考】名畑応順『迦才浄土論の研究 論攷篇』(法蔵館、一九五五)
【参照項目】➡唯報非化
【執筆者:曽和義宏】