一三世紀前半頃、生没年不明。二尊院湛空とともに和歌を詠んだ法師として知られる。『古今著聞集』二に、二尊院での涅槃会で、西音が水瓶に梅を立てて、「きさらぎの中のいつかの夜半よわの月 入にしあとのやみぞかなしき」(『国史大系』一九・五三)と詠んだところ、湛空が返歌したという説話が残されている。
【資料】『翼賛』四三、五八
【執筆者:編集部】