行門・観門・弘願門
提供: 新纂浄土宗大辞典
ぎょうもん・かんもん・ぐがんもん/行門・観門・弘願門
証空が善導の著書を注釈する際に用いた名目(術語)。特に『観門要義鈔』『観経疏大意』等の初期の著書に用いている。行門とは自力修行の法門のことである。釈尊一代に説く大小乗の諸経は自力修行によって仏果を期する教えである。しかし、煩悩具足の凡夫はこの行門を成就することはできない。行門はただ凡夫に対して観門へと機を調え導く異方便としてのみ意義をもつ。観門とは『観経』に説かれる定散二善十六観の法門のことである。いわゆる観門は自力修行の法門ではなく、弘願を能詮する教えであり、観門は弘願を領納する手立てである。さらには観門は弘願と不二一体の開会の関係ともなる。弘願とは阿弥陀仏の本願力のことであり、凡夫はこの弘願により救済されるのである。この名目の関係は弘願により観門が開かれ、さらに行門が開設されるという教法の施設の立場がある。また、行門を離れて観門より弘願門に帰するという機の入信の立場がある。証空はこの両面から阿弥陀仏による凡夫救済の原理を明かしている。
【参考】上田良準・大橋俊雄『浄土仏教の思想』一一(講談社、一九九二)
【執筆者:中西随功】