行賢
提供: 新纂浄土宗大辞典
ぎょうけん/行賢
一二世紀後半の人。生没年不明。文治四年(一一八八)八月一四日、法然が後白河法皇の命によって河東押小路の仙洞において如法経供養の先達をつとめた際、門弟として随喜し、持幡役を担ったとされる。『翼賛』には出自についていくつかの説を挙げているが、重源の弟子であるとされる点から源有通の第四子ではないかと考えられる。また法然が『一紙小消息』を送ったとされる黒田の聖人が行賢ではないかとも考えられている。
【資料】『四十八巻伝』九(聖典六)、『翼賛』九・五七(浄全一六)
【参考】三田全信「黒田の聖人の研究」(『浄土宗史の新研究』隆文館、一九七一)、藤堂恭俊『一紙小消息のこころ』(東方出版、一九九六)
【執筆者:沼倉雄人】