藤原隆信
提供: 新纂浄土宗大辞典
ふじわらのたかのぶ/藤原隆信
康治元年(一一四二)—元久二年(一二〇五)二月二七日。歌人・画家。知恩院所蔵の「往生要集披講の御影」(隆信の御影)は、建久三年(一一九二)、後白河法皇の命により、隆信が描き、蓮華王院(三十三間堂)宝蔵に収めたものと各種法然伝は伝えている。父は藤原為忠四男為経、母は若狭守親忠の娘(美福門院女房)。八歳(久安五年〔一一四九〕)にして美福門院蔵人となり、後に受領職等を歴任し、六〇歳頃出家をして「戒心」と号した。隆信は藤原定家の異父兄にあたり、西行とも親交があった。『七箇条制誡』(元久元年〔一二〇四〕)には「戒心」の署名が確認できる(『四十八巻伝』三一、聖典六・四九二/昭法全七九一)。
【資料】『藤原隆信朝臣集』(『群書類従』一五)、『兵範記』久安五年十月十日(『増補史料大成』兵範記一・二五)、『大日本史料』四—八(元久二年二月二八日条)
【参考】森直太郎「歌人藤原隆信」(『日本文学論攷』、一九五四)、井上宗雄「常磐三寂年譜考 附・藤原隆信略年譜」(『国文学研究』二一、一九六〇)、宮島新一「藤原隆信の生涯と才芸」(『Museum』三九七、一九八四)、三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)、中野正明「『七箇条制誡』について」(『増補改訂法然遺文の基礎的研究』法蔵館、二〇一〇)
【参照項目】➡往生要集披講の御影
【執筆者:米澤実江子】