一二世紀末頃、生没年不明。印蔵が瀧山寺(現・清水寺阿弥陀堂)で不断常行念仏三昧を修した際、開白発願し香炉を執って行道をした。南都興福寺の古年童往生の際には、結縁のために如法経(写経)用の楮こうぞを植え、入棺の先火役をつとめた。また吉水の禅房で「天台宗文句」を読んだ。特にその行状を『四巻伝』に確認できることから、その著者湛空と交流があったようである。
【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(光念寺出版部、一九六六)
【執筆者:南宏信】