聖教量
提供: 新纂浄土宗大辞典
しょうぎょうりょう/聖教量
聖典を論証の根拠にすること。あるいは聖典を通して物事を知ること。正教量や至教量ともいわれる。聖教量の量はⓈpramāṇaの訳語で、認識の手段といった意味である。聖教はⓈāgamaやⓈśabdaにあたり、聖典や聖なる言葉を意味する。Ⓢāgamaは阿含と音写され、仏教ではいわゆる小乗仏教の経典群を意味する語であるが、一般的には聖典全般を意味し、またⓈśabdaは声や音を意味するが、ここでは宗教的権威の言葉を表す。インドでは認識手段について様々な考察が行われているが、特にこの聖教量と現量(知覚による認識)、比量(推理による認識)を合わせて三量という。仏教でもこの三量は論証や認識にあたり重要な位置を占めている。特に多くの論書が、経典や祖師の言葉を論証の根拠としており、聖教量の重要性がうかがわれる。また仏教論理学(因明)の大家であるディグナーガ(陳那)は聖教量を比量に含めて、現量と比量の二量を説いた。
【執筆者:石田一裕】