しんしょう/真迢
慶長元年(一五九六)—万治二年(一六五九)一一月二日。滋賀県坂本西教寺の僧。日蓮宗妙蓮寺の僧であったが、宗義に疑問を持ち、冥告によって天台に改宗。叡山横川で念仏三昧を行じたのち、真盛の唱えた持戒念仏の宗風を慕い、西教寺に移り一五世を継いだ。数部の著作があるが、『破邪顕正記』(四二歳)では日蓮宗批判を展開し、また『念仏選摧評』(四五歳)では、法然の『選択集』とこれを論難した明恵の『摧邪輪』を独自の立場から会釈している。
【参考】寺井良宣「真迢の持戒念仏観と『行者用心集』」(『天台学報』五〇、二〇〇七)
【執筆者:舩田淳一】