発遣・招喚
提供: 新纂浄土宗大辞典
はっけん・しょうかん/発遣・招喚
発遣とは娑婆世界から浄土往生をめざすように勧めること、招喚とは浄土より招き呼ぶこと。『観経疏』玄義分には「仰ぎ惟れば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎したまう。かしこに喚び、ここに遣る。あに去らざるべけんや」(聖典二・一六三/浄全二・二上)とあり、釈尊の発遣と、阿弥陀仏の招喚とが説かれている。すなわち、釈尊は衆生に極楽浄土や往生の方法を説いて発遣をなし、阿弥陀仏は衆生を極楽浄土から招喚している。『観経疏』散善義に説かれる二河白道の喩えは、この発遣と招喚の役割を端的に表している。二河白道では釈尊が衆生に西方極楽浄土を指し示し、阿弥陀仏が悲心をもって衆生を招き呼ぶことが示されており、善導はこの二尊の意に信順して極楽に往生できることは喜びであると説く。法然はこのような理解を受けたうえで「念仏して浄土を求むる者は二尊の御心に深く契えり」(聖典四・四一四)と述べ、また「この外に奥深き事を存ぜば、二尊の御愍に外れ本願に漏れそうろうべし」(同二九九)というように、念仏によって浄土往生を求める者こそが釈尊の発遣と阿弥陀仏の招喚とに適う者であると述べている。
【執筆者:鷹觜観道】