—文禄四年(一五九五)三月一九日。星蓮社看誉。鎌倉光明寺二七世、金戒光明寺二三世。鎌倉光明寺から金戒光明寺に転住し、性誉法山(二一世)に師事した。文禄二年(一五九三)、豊臣秀吉の側室淀君が、亡父浅井長政の菩提を弔うため、淀君を檀越だんのつとして御影堂を再興した。
【資料】『黒谷誌要』(浄全二〇)
【執筆者:今井英之】