一二世紀頃、生没年不明。鎌倉初期に活躍した僧侶。理覚と号した。父は澄憲。仁和寺にんなじに住したという。また法然没後の追善仏事においては二七日の導師を務めている。叔父の明遍の臨終の際にはその善知識となり、明遍の往生に関する不審に答えている。また、建久四年(一一九三)三月一三日の後白河法皇の没後一周忌の千僧供養に一〇〇人の僧侶を従える頭として加わったことが知られる。
【資料】『翼賛』五八、『吾妻鏡』一三
【執筆者:能島覚】