きつきげんしょう/木付玄聖
明治九年(一八七六)—昭和二一年(一九四六)八月一三日。入蓮社重誉明阿。字は白透。大分県速見郡出身。同地長昌寺、木付善聖のもと出家し師事する。明治二七年(一八九四)東京の伝道講習院に入学、同三五年卒業。卒業時に発表された同人誌『吉水風航集』の代表者を務める。以後も伝道講習院研究生として研鑽し、東京浅草本林寺に入山。日露戦争時には軍隊布教師として従軍。大正二年(一九一三)満州開教区長に就任。帰国後は知恩院布教師、日豊教区教務所長、九州布教師会会長、杵築町仏教会会長、杵築町議会議員を歴任。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:上田千年】