普度
提供: 新纂浄土宗大辞典
ふど/普度
—元・至順元年(一三三〇)。丹陽(現・江蘇省鎮江)生まれ。字は優曇で、蔣氏の出身。弱冠にして(二〇歳)東林寺で出家。その後、龍華宝山慧禅師に師事し、師の推薦によって、諸山を遍訪し、丹陽妙果寺に掛錫した。その後、東林寺善法堂において念仏三昧を専修した。当時、南宋・子元の白蓮宗は邪説とされたことを正すために、『廬山蓮宗宝鑑』一〇巻を編纂。至大元年(一三〇八)武宗が蓮宗を禁断する詔を下したが、蓮宗復興のため、同書を朝廷に奏上した。皇慶元年(一三一二)仁宗により白蓮宗は復興され、さらに普度は元代白蓮宗の祖として「虎渓尊者」の諡号を賜り、また世に「優曇宗主」と称された。至順元年念仏しながら亡くなったという。
【参考】震華『中国仏教人名大辞典』(上海辞書出版社、一九九九)、藍吉富他『中華仏教百科全書』(中華仏教百科文献基金会、一九九四)、小笠原宣秀『中国近世浄土教史の研究』(百華苑、一九六三)
【参照項目】➡白蓮宗
【執筆者:肖越】