日観三障
提供: 新纂浄土宗大辞典
にっかんさんしょう/日観三障
日想観を行っている最中に現れる三種の障りのこと。『翼賛』一六において「日観三障の雲のありさま」(浄全一六・一七一下)といわれるように、日想観を妨げる三つの雲のことである。これは善導『観経疏』定善義で、日想観の目的の一つが、行者が自らの業の障りを知ることであり、現れる雲の色がその軽重を示しているとすることによる。「一には黒障、なおし黒雲の日を障うるがごとし。二には黄障、また黄雲の日を障うるがごとし。三には白障、白雲の日を障うるがごとし」(聖典二・二四二/浄全二・三六上)とあり、障りの重い方から順に黒・黄・白の雲が現れるという。衆生は業障に蔽われているため、浄い心が顕れることは困難であることを、日が雲に隠されて全体を観ることができない様子に喩えているともいえる。また、三障を取り除く方法については、道場を整えて、無始以来の身口意業によってつくってきた十悪・五逆・四重・謗法・闡提等の罪を懺悔することの重要性を強調する。一度の懺悔で三障全てを滅する(頓滅)か、一度の懺悔で一つずつ障りを除いていく(漸除)かは、機根によるとしている。
【参照項目】➡日想観
【執筆者:大屋正順】