摂機の願
提供: 新纂浄土宗大辞典
せっきのがん/摂機の願
阿弥陀仏が凡夫である衆生(機)をもれなく極楽浄土に摂取することを目的とした本願の意。生因本願の対。良忠『伝通記』には「摂機と生因と同じく仏願なりといえども、摂機の願はただ機を願ずるが故に行成就し難く、生因本願は別因を願ずるが故に行成就し易し」(浄全二・二一二上)とあり、摂機の願は念仏以外の者を摂取するものである。また良忠は『決疑抄』において、衆生を断証の機・諸行の機・念仏の機の三つに分類し、そのなか諸行の機は摂機の願に乗じて往生すると説いている。聖冏は『釈浄土二蔵義』で、四十八願を分類し、そのうち摂凡夫願中の摂他国願である第十八、十九、二十、三十三、三十四、三十五、三十七の七願を摂機願として定義している。なお法然の法語・消息類においては用例を確認することができない。
【参考】坪井俊映『浄土三部経概説』(法蔵館、一九九六)
【参照項目】➡生因本願
【執筆者:大嶋憲彰】