悪人でも往生できるとの意。すでに『観経』下品下生において五逆・十悪の者でも往生できるとあり、ここには悪人往生が説かれていると見なすことができる。よって、浄土教は基本的に悪人往生を認めており、当然、法然以前からも説かれていた。なお「悪人正機」が悪人の往生を認めるのみならず、悪人こそが本願の正機であるという概念であるのに対し、「悪人往生」は正機が善人か悪人かは問わないという点で、悪人正機より広い概念といえる。
【参照項目】➡悪人正機
【執筆者:安達俊英】