常光・神通光
提供: 新纂浄土宗大辞典
じょうこう・じんずうこう/常光・神通光
法然が『逆修説法』三七日で説示した阿弥陀仏の光明をその作用から分類したもの。法然は、「此の阿弥陀仏の常光は八方上下無央数の諸仏の国土に於いて照らさずと云う所無し…阿弥陀仏の神通光とは、摂取不捨の光明なり。念仏の衆生有るの時は照らし、念仏の衆生の無きの時は照らしたまう無きが故なり」(昭法全二四六~七)と、阿弥陀仏の光明には、極楽の八方上下の数えられないほどの仏国土を照らす常光と、念仏の衆生を摂取する神通光があることを説いている。藤堂恭俊は、法然作「月かげ」の前半の句「月かげのいたらぬさとはなけれども」は常光を説明し、後半の句「ながむる人の心にぞすむ」は神通光を指しているとする。
【参考】藤堂恭俊『「月かげ」のこころ』(佛教大学、二〇〇一)、髙橋弘次『改訂増補 法然浄土教の諸問題』(山喜房仏書林、一九九四)
【参照項目】➡心光・色光
【執筆者:曽田俊弘】