尊峰法親王
提供: 新纂浄土宗大辞典
そんぽうほっしんのう/尊峰法親王
元文六年(一七四一)一月八日—天明八年(一七八八)七月二一日。無辺光院宮高蓮社俊誉乗阿斉聖。幼名は富貴宮。京極宮家仁親王の皇子、母は家女房。養父は桜町天皇、准母は青綺門院。知恩院門跡五世。延享五年(一七四八)八歳で知恩院宮を相続した。宝暦三年(一七五三)徳川家重の猶子となる。同四年親王号が宣下され和義の名を賜った。同年知恩院五二世団誉了風を戒師に得度、同六年宗戒両脈を相承。同一一年、法然五五〇回遠忌勅会の導師を勤めた。同一三年、関東に修学し、一年余りで帰洛。天明八年に四八歳で示寂。京都一心院に葬られた。
【参考】『華頂誌要』(浄全一九)、『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:笠島崇信】