安永七年(一七七八)—天保九年(一八三八)四月一九日。愛蓮社祐誉幻阿周道。金戒光明寺五一世。能登国処之口の人。同所にある法幢寺にて出家する。岩槻浄国寺三七世を経て、文政一三年(一八三〇)四月黒谷へ転住。大方丈唐門の屋根修理、阿弥陀堂千体地蔵の開眼、足立兵庫宮内父子の寄進による御忌祠堂の建立など、寺門の興隆に励む。天保八年(一八三七)一二月西翁院に隠棲。
【資料】『黒谷誌要』(浄全二〇)、北川敏於『奥津城—黒谷に眠る人々—』(金戒光明寺、一九七三)
【執筆者:髙橋寿光】