大阿弥陀経寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
だいあみだきょうじ/大阿弥陀経寺
大阪府堺市堺区寺地町東。甘露山。阿弥陀経寺、大経寺ともいい、また旭蓮社の名で知られる。大阪教区№三四九。和泉国触頭寺院であった。入元して中国廬山東林寺の優曇普度に慧遠流白蓮社の浄土教を学んだ澄円が元徳二年(一三三〇)に慧遠流の浄土教および八宗兼学の道場として建立した寺院で、当初は旭蓮社と名づけられ、蓮社号の嚆矢であったとされる。康永元年(一三四二)に朝廷の詔によって国家の安全と疫病平癒を祈って効験があったことにより、紫衣を賜り、勅願所として大阿弥陀経寺の寺号を賜った。慧遠流の本寺と称して栄え、享保一五年(一七三〇)に知恩院の支配寺院となるも本末関係とはなっていない。また、開創当時には塔頭僧房三十数舎を擁する大寺院であったが明治以降衰退し、第二次世界大戦では毘沙門堂を除くすべての堂宇が灰燼に帰した。四〇世智旭によって本堂、庫裡、山門が再建されて現在にいたっている。毘沙門堂は江戸後期のもの。
【資料】『泉州堺旭蓮社縁起』(山田智旭『本朝廬山旭蓮社』大阿弥陀経寺、一九九一)
【参考】宇高良哲「浄土宗の触頭制度について」(『法然浄土教の綜合的研究』山喜房仏書林、一九八四)
【執筆者:吉水岳彦】