十念業成
提供: 新纂浄土宗大辞典
じゅうねんごうじょう/十念業成
十念の相続によって往生するための業事(要因)が成弁(成就)するという意味。曇鸞の『往生論註』上に「経に十念というは業事成弁を明かすのみ。必ずしも頭数を知ることをもちいざるなり」(浄全一・二三七上/正蔵四〇・八三四下)とあるのに基づく。この文は『観経』に説かれる十念を解釈する問答中の答えの部分である。まず曇鸞は十念を憶念の義と解釈するが、その問答の中、もし心に他縁が生じたならばそれを心の内へとおさめ、念の数を知らなければならない。しかし、念の数を知ればそれは無間念仏とはいえない。心を凝らして想いをとどめるならば、何によってその念の数を知ることができるかと問うのである。これに対する答えとして、『観経』に十念というのは、その業が成就したことをいうのみであり、必ずしもその数を知ることを意図するものではないとする。十念の業の成就というのはそれを知る者、仏がいうのに過ぎないのであり、行者はただ念を積み相続して他のことによらなければ、他縁を生ずることも止み、往生の業がおのずから成就するとしているのである。のちに善導は十念をもって十声称仏と解釈し、『観経疏』玄義分に十声称仏は十願十行具足の念仏であるから十声一声みな往生を得るとする。法然は善導の説を踏襲し、その門下になると、この文の解釈をめぐって一念業成・多念業成と説が分かれる。
【資料】『群疑論』三・七、『伝通記』三、『浄土述聞鈔』
【執筆者:長尾隆寛】