円実
提供: 新纂浄土宗大辞典
えんじつ/円実
一
伝暦未詳。『四十八巻伝』四三には「嵯峨の正信房湛空は、徳大寺の左大臣実能公の孫、法眼円実の真弟、大納言律師公全これなり」(聖典六・六五八/法伝全二七二)とある。円実は、法然常随の弟子であった正信房湛空の実父であり師でもあった僧としてその名を見ることができる。
【資料】『翼賛』四三、五八、『鎮流祖伝』三
【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(光念寺出版部、一九六六)
【執筆者:南宏信】
二
生没年不明。円実房または円尊。三祖良忠の実父。俗姓は藤原氏。太政大臣京極師実六世の孫(宰相頼定の息である中納言経定の孫にあたる)。比叡山東塔南谷大林房宣雲の弟子となり修行して後、石見国三隅庄(島根県浜田市)に遁世し法阿と号す。九三歳にして往生を遂げる。
【参考】『然阿上人伝』一(『源智 弁長 良忠 三上人研究』三上人御遠忌記念出版会、一九八七)
【執筆者:渋谷康悦】
三
【資料】『総系譜』下(浄全一九)、『浄土惣系図(西谷本)』『蓮門宗派』(共に野村恒道・福田行慈編『法然教団系譜選』青史出版、二〇〇四)
【執筆者:編集部】
四
生没年不明。神蓮社境誉。上野国勢多郡大胡(群馬県前橋市)の養林寺一一世となり、その法灯を受け継いだと伝えられる。同寺は大胡太郎実秀の創建(一時、中絶)とも言われ、江戸幕府より朱印地一〇〇石を寄進される程に格式高い寺院である。しかし円実が同寺の一一代目の住職となるまでの経緯は、かれの伝歴とともに明らかではない。
【資料】『新田大光院志』(浄全二〇)
【参考】『寺院由緒名鑑』(浄土宗群馬教区教務所、一九七七)
【執筆者:加藤弘孝】