作仏房
提供: 新纂浄土宗大辞典
さぶつぼう/作仏房
一二~三世紀頃、生没年不明。法然に帰依した遠江国久野の山伏。役行者の跡を追って、山伏としての行を立て、大峯山から熊野に四八度の参詣をした。そして熊野権現に、現世の果報により出離の要道を求めると、四八度の満行のとき、京都にいる法然のことを教えられ上京する。法然に念仏往生の教導を受けて、専修念仏の行者となったが、本国に帰り染め物などの売買で生計を立て、最期は仏前で鉦を打ちながら高唱念仏数刻の後、端坐合掌のまま往生した。建久三年(一一九二)熊野巡拝の帰路、現在の橿原市葛本の不経堂の地に一宇の庵室をむすび念仏の道場としたが、その庵は正徳三年(一七一三)に近隣に移転し安楽寺として現存している。
【資料】『四十八巻伝』二〇(聖典六)
【参照項目】➡安楽寺三
【執筆者:野村恒道】