法が自ずと運ぶのに任せて、誰の作為も加えていないこと。「にんぬん」とも読む。禅門では、任運無作、任運騰騰などと、「あるがまま」の意でも用いられる。聖光は『徹選択集』下において、「不離仏値遇仏」の義を明らかにしていく中で、「真位の菩薩の漏尽通は任運自在の漏尽通なり。いわゆる、無明の惑を断じ法性の理を顕し、自然に薩波若海さはにゃかいに流入す任運無窮にんうんむぐの遊戯神通なり」(聖典三・二九五/浄全七・九九下)と述べ、真位の菩薩の漏尽通が任運自在である、と示している。
【執筆者:東海林良昌】