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お山がけ

提供: 新纂浄土宗大辞典

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おやまがけ/お山がけ

有珠うす善光寺(北海道伊達市有珠町)の秋彼岸の恒例行事。古くは臼岳登りとも称した。先達が引く善の綱をもちつつ有珠山(臼の岳)に登り、山頂から信濃の善光寺を拝む。当寺は円仁開創とするが、蝦夷地に善光寺信仰を伝えたのは名越派遊行僧で、慶長年間(一五九六—一六一五)一光三尊仏を祀った如来堂がはじまりとされる。のち文化元年(一八〇四)蝦夷三官寺の一つとして幕府直轄寺院となった。三世弁瑞は「念仏上人子引歌(カモイボボウンケイナ)」を作ってアイヌに念仏をすすめた。アイヌは「子引歌」で踊り念仏をしたが、善の綱を引きながら臼岳登りにも歌ったと伝える。弁瑞は「結縁同行蓮華講中勧化和讃」も作っているが、「臼山の峰におのおのよじのぼり…」のことばがあり、お山がけ結縁する同行蓮華講とよばれた。アイヌは、善光寺如来は月の前半は信濃にあり、後半には臼の岳にいると考え、十六夜から晦日まで如来の来臨を信じて、海岸の洞穴で夜籠り百万遍念仏を行った。蝦夷の地に如来が臼岳と信濃との間を往還するとの信仰があったが、現行の習俗ではこの信仰に観音三十三所信仰が加わっている。


【参考】佛教大学民間念仏研究会編『民間念仏信仰の研究 資料編』(隆文館、一九六六)、五来重『善光寺まいり』(平凡社、一九八八)、須藤隆仙『日本仏教の北限』(教学研究会、一九六六)


【参照項目】➡善光寺


【執筆者:伊藤唯眞】