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子引歌

提供: 新纂浄土宗大辞典

こびきうた/子引歌

正式には念仏上人子引歌といい、有珠うす善光寺(北海道伊達市有珠町)三世弁瑞伝道のために作った和讃。四世弁定が数句追加し、天保三年(一八三二)に印行した。「これや人々おしえを聞けよ、はやいおそいがいち度は死ぬぞ、しぬがいやならねん仏申せ、もうす人ならいつなん時に、かりのからだのしにたるとても、せみのぬけがらすつるがごとく、月も日もよくしせざる国へ、往て生れてこころのままよ、妻や子どもが可愛そならば、ともにねん仏申がよいぞ、この世はかならずやくなんうけず、後の代はまた浄土にうまれ、ひとつ蓮の台にすみて、ながく楽しみしぬ事なし」と平易に念仏の教えを示し、鉦を打ち舞踊を伴いながら歌ったという。嘉永六年(一八五三)に再版された版木が現存しているが、これには全文の傍に「これや人々おしえを聞けよタパアン・ウタレエパカシ・コカヌ」というようにアイヌ語がカタカナで付されており、アイヌの人々への布教の跡が窺える。


【参考】須藤隆仙『日本仏教の北限』(教学研究会、一九六六)


【参照項目】➡弁瑞


【執筆者:名和清隆】