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瑞相寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ずいそうじ/瑞相寺

山口県柳井市柳井津。放光山大超院。山口教区№二三。触頭ふれがしら寺院であった。寺伝によれば聖光が二度目の京都上洛の折に、伴僧の性真が海路で発病したため、柳井津で上陸を命じ、そこで性真が結んだ洲崎の寮が起源と伝える。その後、法誉祐西が永正一三年(一五一六)に宇治の平等院から西向し瑞相寺を開く。二一世の旭誉教晨が知恩院五世門跡尊峰法親王の准宮院家職となり、同六世尊超法親王より大超院の号を下賜され、旭誉教晨以後は二五世昌誉旭栄まで准宮院家職となった。また昭和二年(一九二七)までは律院としての性格も有し住職は妻帯していなかった。同三八年に山陽一とも謳われた大伽藍を誇った本堂が焼失するが、三一世の井原文雄によって同四四年に現在の伽藍を再建した。


【資料】『蓮門精舎旧詞』三二


【参考】『瑞相寺の歴史』(瑞相寺、一九九二)


【執筆者:柴田泰山】