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壁画

提供: 新纂浄土宗大辞典

へきが/壁画

洞窟や墳墓、建築などの壁や天井に描かれた絵画の総称。日本では、五世紀頃より石室内に図文や彩色をもつ装飾古墳が出現する。中でも、七世紀末から八世紀初頭に築造された高松塚古墳やキトラ古墳は、四神図・星宿図・風俗図が描かれた本格的な壁画古墳として有名である。これらと同時代の遺産で仏教美術の至宝であった法隆寺金堂壁画は、昭和二四年(一九四九)の火災により損傷した。その後、壁画としては古代寺院の土壁や板壁に描かれたものがほとんどで、中世以降は障壁画に移行していく。寺院建築における壁画は堂内荘厳を目的とする他、宗教教義を図示したものがある。天平時代には、唐招提寺金堂や薬師寺東塔のように天井や支輪板に唐風の文様を施す例が見られるが、本格的な寺院壁画としては平安時代まで下る。天暦五年(九五一)に完成した醍醐寺五重塔初重内部に描かれた壁画(国宝)は、唐風から和様に移行する平安時代中期の基準作として重要。心柱覆板や羽目板などに両界曼荼羅真言八祖像が描かれており、その図様は整然と統制されながらも優美である。室生寺金堂来迎壁に描かれた伝帝釈天曼荼羅図(国宝)も、平安時代前期に遡りうる稀少な遺例である。これに続く平安時代後期の壁画には、当代随一の仏教美術である平等院鳳凰堂壁扉画(国宝)がある。現存最古の大和絵風九品来迎図の他、阿弥陀浄土図を含む仏後壁ぶつごへき前画面(主題には諸説あり。阿闍世王太子授記説話か)と日想観図(西面扉)があり画題も豊富である。特に仏後壁前画面と日想観図は、画題や技法面において注目される。これに比する遺例には鶴林寺太子堂壁画と富貴寺大堂壁画(共に国重要文化財)がある。その中、鶴林寺太子堂壁画は、鳳凰堂と同じ大和絵風九品来迎図だが、地方特有の簡素さがある。一方、鳳凰堂壁扉画に類する浄土教壁画としては、三千院往生極楽阿弥陀堂壁画法界寺阿弥陀堂壁画(国重要文化財)があげられる。その他、神道関係の壁画としては、宇治上神社本殿扉絵(平安時代後期、国重要文化財)の童子像(現存最古の垂迹画)と随身像、島根八重垣神社本殿板壁画(室町時代、国重要文化財)の神像などがある。


【執筆者:太田亜希】