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塩屋入道信生

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しおやにゅうどうしんしょう/塩屋入道信生

一二~三世紀頃、生没年不明。法名信生いみなは朝業。塩谷とも書く。武蔵七党の児玉党に属す。武蔵国児玉郡塩屋(埼玉県本庄市児玉町塩谷)の住人。宇都宮弥三郎頼綱の弟。隆寛を介して比較的早くから法然門下にいたとみられ(『三鈷寺文書』・『明義進行集』)、『尊卑分脈』には「法然上人弟子」と註記されている。『四十八巻伝』によれば、大番役で上洛のときに法然の教えを受けて弟子となり、嘉禄の法難では、法然の遺骸を東山大谷から嵯峨に移すのに随従した。また、信生には親朝・時朝(笠間)・賢快の三子があり、『吾妻鏡』に「塩谷兵衛尉朝業」(建保元・八・二〇)や「宇都宮五郎朝業」(建久五・七・二八)と記される。


【資料】『四十八巻伝』四二(聖典六)、『三鈷寺文書』、『明義進行集』、『尊卑分脈』、『吾妻鏡』


【参照項目】➡宇都宮弥三郎頼綱


【執筆者:小此木輝之】