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仏教文化研究所

提供: 新纂浄土宗大辞典

ぶっきょうぶんかけんきゅうじょ/仏教文化研究所

浄土宗本派の研究機関。創設者である望月信亨金戒光明寺法主在任中の昭和一七年(一九四二)、山内の清心院に私的研究所として「望月仏教文化研究所」を設け、翌年には機関誌『仏教文化研究』を発刊する。その後、同二〇年三月に望月が知恩院門跡晋董したことから、翌年九月に知恩院へと移されるが、望月の病状悪化および逝去に伴い活動は休止する。しかし、同二三年一〇月に知恩院三世となった岸信宏によって知恩院所属の研究機関として制度化され、知恩院新門横(元・華頂看護婦養成所)において再出発し、門主を総裁、知恩院執事長を所長とし、塚本善隆学頭のもとに研究が進められた。同二六年には改めて『仏教文化研究』が一号から発刊された。東西合同成立の同三七年以後、本研究所は浄土宗教学院研究所に合入して発展的解消を遂げたが、『仏教文化研究』という誌名は教学院研究所の機関誌に継承された。


【参照項目】➡浄土宗教学院仏教文化研究


【執筆者:齋藤蒙光】