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無常臨時の念仏

提供: 新纂浄土宗大辞典

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むじょうりんじのねんぶつ/無常臨時の念仏

不断念仏中に僧が亡くなったときに勤める念仏のこと。『四十八巻伝』四五によれば、俊乗房重源は「彼の故山かみの醍醐に無常臨時念仏を勧めて、末代の恒規とし、その外七ケ所に不断念仏を興隆せられき」(聖典六・七一〇/法伝全二九五)とある。重源は長承二年(一一三三)一三歳で醍醐寺に入って出家した後、養和元年(一一八一)六一歳で東大寺勧進職につくまで醍醐寺に属し、上醍醐西谷の円明房に住み、経蔵や大湯屋の造立、一千日の無言転読六時懺法の奉行、如法経供養などを行った(『南無阿弥陀仏作善集』)。『翼賛』四五には、不断念仏を勤めていた東大寺念仏堂・高野の新別所・播磨の浄土寺・醍醐旧住の道場・伊賀大仏の道場・大坂渡辺の道場・周防の阿弥陀寺の七箇所を挙げ、「恒規の念仏は断絶して寺老も其の事を知らず(寺僧の伝説)といえり。是れ亡僧ある時に臨てこれを修するを定式としけるにや。されば無常臨時の念仏とはいえるなるべし」(浄全一六・六五五上~下)と註釈していることから、無常臨時の念仏は、不断念仏実践中に僧が亡くなったときに勤める念仏で、その念仏会には常に則るべきしきたりがあったと推定される。


【資料】奈良国立文化財研究所編『俊乗房重源史料集成』(『奈良国立文化財研究所史料』四、一九六五)


【参考】伊藤真徹「法然上人の念仏修行方軌について」(『日本浄土教文化史研究』隆文館、一九七五)、小林剛「醍醐寺諸堂塔の造営その他」(『俊乗房重源の研究』有隣堂、一九八〇)


【参照項目】➡重源別時念仏不断念仏


【執筆者:山本博子】