付属
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ふぞく/付属
師匠が弟子に教えの奥義を相伝し、後世に伝えるように託すこと。伝法、付法ともいう。釈尊が弟子の阿難や弥勒などに教えの肝要について伝授することや、宗派の祖師が弟子に宗義の根本教義を伝授することをいう。一般に経典においては、結語の箇所に説かれていることが多く、これを付属の文という。『無量寿経』下には、「仏、弥勒に語げたまわく。それ、かの仏の名号を聞くことを得ることあって、歓喜踊躍して、乃至一念せんに、まさに知るべし、この人、大利を得たりとす」(聖典一・二八四/浄全一・三五)とあり、聖光は『西宗要』においてこの箇所について「念仏の法門を弥勒菩薩に付属すと見えたり」(浄全一〇・二〇一上)と述べている。『観経』では、釈尊が定散の諸行を伝授せず、念仏の一行のみを阿難に伝授し後世に流通させたことをいう。『観経』の終わりには「仏、阿難に告げたまわく。汝好く是の語を持せよ。この語を持せよとは、すなわちこれ無量寿仏の名を持せよとなり」(聖典一・三一四/浄全一・五一)と説かれている。『観経』には韋提希夫人の要請に基づいて定散二善が説かれているが、釈尊自らの意として説かれたのは念仏のみであるので、定散二善を随他の教え、念仏を随自の教えという。法然は『選択集』一二において「釈尊諸行を付属したまわざる所以は、すなわちこれ弥陀の本願に非ざる故なり。また念仏を付属したまう所以は、すなわちこれ弥陀の本願なるが故なり」(聖典三・一七四/昭法全三四三)と述べ、念仏は諸行と異なり阿弥陀仏の本願であるから釈尊が付属することを明らかにしている。『阿弥陀経』には、付属の文が明示されていないが、善導は『法事讃』下において「世尊の説法の時、まさにおわりなんとす。慇懃に弥陀の名を付属す」(浄全四・二五下)と述べ、『阿弥陀経』付属をあかし、法然も『阿弥陀経釈』において「正しく但念仏往生の法を以て、舎利弗等の諸の大声聞、文殊等の諸大菩薩に慇懃に付属す」(昭法全一四三)と述べている。なお聖光は『西宗要』三において、個々の三部経の付属について解説を加えている。
【参考】石井教道『選択集全講』(平楽寺書店、一九五九)
【執筆者:曽根宣雄】