山岳信仰
提供: 新纂浄土宗大辞典
さんがくしんこう/山岳信仰
神聖な空間とみなされた山岳に関する信仰の総体をいう。山岳そのものが信仰される場合と、神仏の住居として信仰される場合とがある。山岳信仰に基づいた儀礼を行う場合、僧侶・神職・行者・祈禱師などの宗教的職能者の介在によることが多い。山は、妖怪や魑魅魍魎の跋扈する危険な空間とみなされ、鬼・天狗の棲家とする伝承も生まれるなど、人間の世界とは異なる他界として捉えられることが多い。山岳信仰の特徴は、その山岳が遠方から眺望できることにあり、一つの山に対して様々な信仰様態をみる場合が多い。山岳信仰の原型は火山系、分水系、葬所系の三系統に分類できる。火山系とは、人々に強い恐怖心や畏怖心を与える火山の噴火に対して神の怒り、神の創造力といった観念が生まれ、山の神の信仰となっていったものをいう。噴火後の山容は富士山に代表されるように、裾野の広いコニーデ型をなす場合が多い。津軽の岩木山、伯耆の大山、鹿児島の開聞岳はそれぞれ津軽富士、伯耆富士、薩摩富士と称せられ、富士山と同様に神秘的な山として信仰を集めた。浅間山、阿蘇山なども同様である。分水系とは水との関わりにおいて分類される系統である。水は特に農耕民にとっては不可欠であり、水分神として信仰されたり、残雪によって種蒔きの時期を占うなどの信仰がみられる。漁民の間には「山アテ」(海上での自分のいる位置を知るための方法)や、雲のかかり具合などによって天気を占う習俗などがあった。葬所系に関しては、祖霊が山岳に住むとする霊山信仰があり、ここから山中他界の観念が生まれた。火葬の煙からの連想はその一因をなした。たとえば、恐山では旧盆に巫女の「口寄せ」が営まれている。また、天皇の陵墓を山陵といい、寺号に山号がつけられたのは人里離れた山中に寺を建てた名残だとする意見もある。来迎図の一種「山越の弥陀」は、極楽とこの世の境界を山岳とする観念に基づいている。山岳は修行の場とされることも多く、山伏などの修験道行者の活躍の場であった。浄土宗僧侶の弾誓・澄禅・徳本など、山林での念仏修行を行った者もおり、江戸後期の僧・播隆は槍ヶ岳を開いた念仏僧として知られている。
【参考】村山修一『山伏の歴史』(塙書房、一九七〇)、五来重『山の宗教』(淡交社、一九七〇)、和歌森太郎『修験道史研究』(平凡社、一九七二)、宮家準『大峰修験道の研究』(佼成出版社、一九八八)
【執筆者:藤井正雄】