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自然崇拝

提供: 新纂浄土宗大辞典

しぜんすうはい/自然崇拝

自然現象や自然物を神、その他の霊的存在の仕業とみて崇拝することをいう。英語naturismの訳語。マックス・ミューラーは宗教の起源として自然崇拝説を唱えた。世界各地で広範囲にみられる太陽・月の崇拝の他にも、牧畜未開民族の間では天や星辰に対する信仰、農耕民族の間では大地の豊饒性と女性の多産性への信仰がみられる。また富士山・英彦山ひこさん・白山などの形状の秀麗崇高な霊山や火山、雲がかかると必ず雨が降ると伝えられる雨降山あめふりやまや農耕に欠かせない水分みくまり山、鬱蒼とした森の山々、洪水を引き起こす河川、稀な形状で知られる巨岩・奇岩、崖上の樹木、温泉・沼・滝など地域住民の関心事のなかで自然崇拝の対象が決まってくる。太陽と月は擬人化されて、神話で語られる。特に太陽は農神となり、春秋の彼岸天道念仏、日待ちなどに現れ、朝日と夕日は他界観と結び付いて西方浄土観や日想観、山越の弥陀などを生み、民間習俗となって様々な彩りを添えている。ブラジルやアメリカ先住民、コイ族をはじめとするアフリカの未開民族の間では、あまりの暑さから太陽を射落とす神話があり、太陽に代わって月を崇拝する。このように、自然崇拝は生活する地域住民の地域性や意味付けによって、限定を受けがちである。現在では自然崇拝宗教の起源とする説は衰微して、地域社会の脈絡のなかで論ぜられるようになっている。もともと「自然」の語は、ギリシャ語physisやラテン語naturaに由来し、「自」は「おのずから」、「然」は「しかるべくある」という意味であるから、自然とは手が加わらないの意味となる。インドの大自然は生を育む力としてインド人とともにあったから、大乗仏典には自然の思想がしばしば登場する。釈尊弟子たちがさとりの世界を詩に託して歌った『長老偈』には自然のなかに安らぎを見いだした詩が多くある。このほかゾロアスター教(拝火教)との関わりから浄土教信仰がインドの自然崇拝と深く結び付くことを論証した論文など、他方面にわたる研究がみられる。


【参考】藤田宏達『原始浄土思想の研究』(岩波書店、一九七〇)、マクス・ミュラー著/清水友次郎訳『宗教学綱要』(丙午出版社、一九二一)、原田敏明「日本古代宗教における自然崇拝の特性」(『増補改訂版 日本古代宗教』中央公論社、一九七〇)


【参照項目】➡山岳信仰


【執筆者:藤井正雄】