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「聖徳寺」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:25時点における最新版

しょうとくじ/聖徳寺

神奈川県横須賀市田戸台。公卿山田津院。神奈川教区№一四三。文和二年(一三五三)に開創されている。開山開基については諸説あり、寺伝では浄誉生阿を開山とするが、『相模国風土記』では静蓮社寂誉を開山、永島正徳を開基としている。創建当初は「正徳寺」とされていたが、ある代の住職が夢枕に聖徳太子を見たのを機縁として正徳元年(一七一一)に寺名を改めたとされる。戦乱や火災による堂宇の焼失で境内地を幾度か移転しており、明和六年(一七六九)に現在地に至る。火難・移転によって記録類が散逸しているため寺史の詳細は不明である。


【資料】『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)、『新篇相模国風土記稿』一一四(『大日本地誌大系』四〇)


【参考】『平成版浄土宗神奈川教区寺院誌』(神奈川教区教務所、二〇〇九)


【執筆者:沼倉雄人】


三重県松阪市中万町。大仲山。伊勢教区№一七二。用明天皇二年(五八七)の草創、聖徳太子開基、浄誉食道の開山と伝える。もとは法相宗で後に天台宗となり、永和元年(一三七五)良道により浄土宗となる。浄誉食道が天保元年(一八三〇)に再建、現在に至る。


【資料】『蓮門精舎旧詞』一四(続浄一八)


【参考】全日本仏教会寺院名鑑刊行会編『全国寺院名鑑』(史学センター、一九八三)


【執筆者:横井大覚】


長崎市銭座町ぜんざまち。天王山法輪院。長崎教区№二。寛永三年(一六二六)開創。開山は、専誉玄蹟。塔頭たっちゅう寺院摂取院無量院称名庵がある。昭和二〇年(一九四五)の原爆投下により全壊、創建時以来の貴重な史料も焼失した。本尊は、文化勲章受章者、北村西望による阿弥陀如来。二一世金子貫達は、同六一年、大本山善導寺法主晋董。聖徳保育園、ルンビニー幼稚園、滑石中央幼稚園、ピッパラ保育園がある。オランダ通詞楢林家の墓、長崎大学医学部納骨堂境内に存する。


【資料】『蓮門精舎旧詞』三九


【執筆者:金子孝司】