「法然上人の和歌」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ほうねんしょうにんのわか/法然上人の和歌
法然作とされる和歌は、『四十八巻伝』三〇にまとめられている。そこには短歌ばかり一七首、詞書や「勅撰和歌集」入撰の註などが挿入され、よく整理されている。さらに、三四巻に九条兼実との贈答歌、二一巻と二八巻に今様風の和歌一首(同じ歌)、都合一九首が『四十八巻伝』に、法然の詠んだ歌として伝えられている。他に『和語灯録』や、『法然上人伝法絵流通』(国華本)、『法然上人伝法絵』(高田本)、『法然聖人絵』(弘願本)等に所収されるものも含め、現在、二三首が法然の歌として知られているが、それらを一覧すると別表のとおりとなる。(表中の「下」と数字は各文献での歌の所在の巻を表す)
これらの歌が法然の真作かという問題については、『四十八巻伝』の成立からみた文献的問題に鑑み、それらに初出の歌は、真作と断言できない。それらより古い文献に採録される歌は、法然真作の可能性が高いといえる。しかし、歌の解釈からみれば、いずれの歌も、教義との整合性や法然の信仰性向と矛盾するわけではない。それらを考え合わせれば、現在の段階においてはひとまず、資料成立順でみて『四十八巻伝』を下限とし、これら二三首の和歌が法然の歌である、と線引きすべきであろう。江戸時代には学僧、湛澄が同じような認識で、伝記や語録にある歌をもとに『空華和歌集』という法然の歌集を作成、解説を施している。
以下、二三首の原文と現代語訳を記しておく。
①さへられぬ ひかりもあるを をしなへて へたてかほなる あさかすみかな 〈訳〉遮ることのできない(阿弥陀仏の)光というものがあるのに、朝霞が一様に、太陽の光を遮って、いかにもすべての光を遮っているようにたなびいていることよ。 ②われはたヽ ほとけにいつか あふひくさ こヽろのつまに かけぬ日そなき 〈訳〉私はただひたすら、いつの日か阿弥陀仏にお会いするのだということを、葵をものの端に掛けて飾ったりするように、心の端に掛けて、思わない日などないことよ。 ③あみた仏に そむる心の いろにいては あきのこすゑの たくひならまし 〈訳〉阿弥陀仏に染まっていく心が、色に現れるというようなことがあるなら、まるで秋の紅葉で木々の梢が紅く染まっていくようなものだろう。 ④ゆきのうちに 仏のみなをとなふれは つもれるつみそ やかてきえぬる 〈訳〉雪の降る如く罪業を重ねている間でも、阿弥陀仏の名号を称えるならば、雪のように積もる我が罪が、すぐに消えてしまうことよ。 ⑤かりそめの 色のゆかりの こひにたに あふには身をも をしみやはする 〈訳〉かりそめの一時的な感情の恋愛にさえ、相手に逢おうとするのにこの身を惜しむだろうか。(いや惜しまない。真実の仏法にこそ身を惜しまず、教えを求めよう。) ⑥しはのとに あけくれかヽる しらくもを いつむらさきの 色にみなさむ 〈訳〉(扉が柴でできたような)粗末な草庵に、明けても暮れてもたなびいてくる白雲であるが、この白雲が、いつ、仏の来迎の紫雲と見届けられることだろう。 ⑦あみた仏と いふよりほかは つのくにの なにはのことも あしかりぬへし 〈訳〉南無阿弥陀仏と称える以外、どのようなことも往生のためには悪いことであろう。 ⑧極楽へ つとめてはやく いてたヽは 身のおはりには まいりつきなん 〈訳〉極楽への旅路には、早朝より出立して精進の念仏者となり、そしてこの身が尽きるときには往生できるであろう。 ⑨阿みた仏と 心はにしに うつせみの もぬけはてたる こゑそすヽしき 〈訳〉心は、もう阿弥陀仏の西方浄土にあり、それはまるで、蟬が殻から抜け出したようで、一心に念仏する声は、清々しいことよ。 ⑩月かけの いたらぬさとは なけれとも なかむる人の 心にそすむ 〈訳〉月の光が照らさないところはないが、月を眺める人の心にこそ、月の光が澄み渡るのである。 ⑪往生は よにやすけれと みなひとの まことの心 なくてこそせね 〈訳〉往生することは、世にも容易いことであるのに、往生できない人は、皆、誠の心がないから、往生しないのである。 ⑫阿みた仏と 十こゑとなへて まとろまむ なかきねふりに なりもこそすれ 〈訳〉南無阿弥陀仏とお十念を称えて、まどろむのがよい。永遠の眠りになるかもしれないので。 ⑬ちとせふる こまつのもとを すみかにて 無量寿仏の むかへをそまつ 〈訳〉長い歳月を経た立派な老松のある、小松殿を住房として、無量寿仏のお迎えを待っていることよ。 ⑭おほつかな たれかいひけむ こまつとは 雲をさヽふる たかまつの枝 〈訳〉よくわからないことだ、誰が言ったのであろう、小松などと。あたかも大空の雲を支えているような立派な高松の枝であるのに。 ⑮いけのみつ 人のこヽろに にたりけり にこりすむこと さためなけれは 〈訳〉池の水は、人の心に似ているものだ。濁ったり澄んだりして定まることがないことよ。 ⑯むまれては まつおもひ出ん ふるさとに ちきりしともの ふかきまことを 〈訳〉私が浄土に往生したならば、まず思い出すことであろうよ。故郷である娑婆世界において、共に極楽浄土に参ろうと約束した同行の深い真実の心を。 ⑰阿弥陀仏と 申はかりを つとめにて 浄土の荘厳 みるそうれしき 〈訳〉南無阿弥陀仏とお称えすることのみを、日々のお勤めとして、浄土のありさまを見ることができるのはうれしいことよ。 ⑱露の身は こヽかしこにて きえぬとも こヽろはおなし 花のうてなそ 〈訳〉はかない露のようなこの身が、こちらやあちらや、どこで亡くなってしまったとしても、心は同じ蓮台、きっと浄土でお会いできることでしょう。 ⑲いけらは念仏の 功つもり しなは浄土へ まいりなん とてもかくても この身には おもひわつらふ 事そなき 〈訳〉(念仏して)生きていれば念仏の功徳が積もっていき、死んだならば浄土にお参りしましょう。(そうしていれば生きていても死んでも)いずれにしても、この我が身には、あれこれ思い悩むことがありません。 ⑳これを見ん おり〳〵ことに おもひてヽ 南無阿弥陀仏と つねにとなへよ 〈訳〉これを見ましょう。そして見るたびたびに思い出しては、南無阿弥陀仏と常に称えましょう。 ㉑こくらくも かくやあるらむ あらたのし とくまいらはや 南無阿弥陀仏 〈訳〉極楽というところも、このようなところなのであろう。ああ、楽しいことだなあ。急いで参りたいものだなあ。南無阿弥陀仏。 ㉒いかにして われこくらくに むまるへき みたのちかひの なきよなりせは 〈訳〉どのようにして、私は極楽に往生したらよいのであろう。もし、阿弥陀仏の本願のない世であったならば。 ㉓不浄にて 申念仏の とかあらは めしこめよかし 弥陀の浄土へ 〈訳〉厠で申す念仏に、何か罪科があるというのなら、どうぞ閉じ込めてくださいな。阿弥陀仏のお浄土へ。
なお、主な歌集に編入された法然の歌は次の通り。⑦⑧⑭⑰の歌が『夫木和歌抄』三四・雑部釈教(全三六巻、私撰集、一三一〇成立)、⑥の歌が『玉葉集』一九・釈教歌(全二〇巻、一四番目の勅撰集、一三一二成立)、⑩の歌が『続千載集』一〇・釈教歌(全二〇巻、一五番目の勅撰集、一三二〇成立)、⑮の歌が『続後拾遺集』一九・釈教(全二〇巻、一六番目の勅撰集、一三二六成立)、⑯の歌が『新千載集』九・釈教歌(全二〇巻、一八番目の勅撰集、一三五九成立)、②の歌が『新後拾遺集』一八・釈教歌(全二〇巻、二〇番目の勅撰集、一三八四成立)に、それぞれ入撰している。勅撰集入撰も、法然寂後一〇〇年以降のことであり、伝記資料をもとにしていることであろうから、歴史上の功績と評価から入撰したと考えられる。『四十八巻伝』三〇の歌が収められる部分の冒頭に「上人、和歌を事とし給わざりけれども、我が国の風俗に従いて、法門に寄せては、時々思いをも述べられけるにや」(聖典六・四八一)とあって、法然は歌を詠むことを能くしたわけではないが、日本の風習として、その信仰心情を歌に詠むということはあった。法然の歌には、心から阿弥陀仏を慕い、極楽往生を願う気持ちがあふれている。
【執筆者:伊藤真宏】