源盛親
提供: 新纂浄土宗大辞典
みなもとのもりちか/源盛親
一二~三世紀頃、生没年不明。藤原定家『明月記』によれば、建永元年(一二〇六)一一月二七日大宮大臣藤原実宗は、法然を戒師として出家する。盛親はこのとき布施取り役であった。『四巻伝』によれば、法然没後の初七日に追善法要が営まれ、「大宮入道内大臣御家之御諷誦文」として家司であった源盛親が諷誦文を作り奉読している。『尊卑分脈』によれば、「八条院蔵人」とあるが、『玉葉』では新任早々解任されたとする記事もある(文治三〔一一八七〕・一一・二六)。法然の追善に諷誦文を奉読すべき立場の実宗は、建暦二年(一二一二)一二月に法然を追うように没している。あるいは実宗が病気中で家司の盛親がこれに代わったものと考えられる。
【資料】『四巻伝』四、『九巻伝』八上、『知恩伝』(以上、法伝全)、『明月記』、『玉葉』
【参照項目】➡大宮実宗
【執筆者:小此木輝之】