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清徳院

提供: 新纂浄土宗大辞典

せいとくいん/清徳院

大津市膳所ぜぜ。達磨山長福寺。滋賀教区№四〇九。開基建立については不詳であるが、慶長年間(一五九六—一六一五)に建立された達磨堂が起源とされる。中興の祖は、大津華階寺の徳誉達秀で、当初は浜田町(現・本丸町)に建っており達磨山長福寺と称した。天和三年(一六八三)一一月に火災で焼失したため、隣寺の縁心寺五世本誉の弟子、乗誉が翌年の貞享元年(一六八四)一一月に現在の地に堂宇を建立。その後、別に達磨堂が建立された。また元禄一〇年(一六九七)一二月に膳所藩主本多康慶は、初代藩主側室の清徳院殿の菩提所とし、位牌を納めたことから達磨山長福寺清徳院と改称した。本尊阿弥陀如来像は藤原時代後期の源信の作といわれ、国重要文化財。また、達磨堂に安置されている達磨大師の木像は、南北朝時代の造像の可能性があることから、彫刻史的にも注目されている。墓所に布教家、金田戒定の墓がある。


【資料】『蓮門精舎旧詞』二三(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)、『滋賀県市町村沿革史』二(弘文堂書店、一九八八)、『近江輿地志略』三三(同、一九七六)、『近江国滋賀郡誌』(同、一九七九)


【執筆者:井野周隆】